普段、皆さんはものごとを「多い、少ない」とか「大きい、小さい」などの2つに分けて見ていませんか?
見てるでしょう?
それを偏見といいます。
人間、不思議となんでも両極に分けてしまいがち。
偏って見てしまうのが人間ですが
偏った見方、考え方ばかりしている人は大変苦労します。
なぜならば、
心の安らぐ場所は両極の間(中道)にあるからです。
中道(ちゅうどう)とは、相対する極端な行動をやめて自由自在の立場を体得することを言います。(別の意味もあります)
たとえば、琴など弦楽器は、その弦をきつく締めすぎると切れてしまい、また緩くしすぎると音が出なくなってしまいます。
その間の「良い加減」のところでよい音が奏でられます。
そのちょうど良い加減を把握することが大事だということです。
もっと身近なものでいえば「お風呂」で例えると解りやすいと思います。
お風呂は熱くても冷たくても入れませんでしょう?
ちょうどいい42度ぐらいの適温ではじめて「良い湯加減」になる訳です。
この「いい加減」のところでものごとに従事することが肝心なのです。
世の中何事もほどほどが一番です。
怠けるのは無論いけないことですが、がんばりすぎるのも良くないことです。
今より2500年前、お釈迦様は世の無常を感じ、ある国の嫡男という裕福な立場を捨て僧侶になられました。
この世の真理を見極めようと、長い年月の間苦行をし、とうとう骨と皮の体になってしまいました。
しかし、真理を見極めるどころか心の安らぎさえも得ることさえできませんでした。
そこでお釈迦様は苦行を捨て、中道精神にもとづく修行をおこないました。
そして襲い掛かる全ての悪魔を降伏させ、ついに悟りを開かれたそうです。
このお話は、王子という生ぬるい環境と苦行という非常に厳しい環境の両極端の環境の間にこそ、悟りの世界があったというお話です。
皆さんご理解できましたでしょうか?
もうひとつ面白いお話を記載します。
昔々、中国のとあるお坊さんのところに弟子入りしてきた小僧さんが、そのお坊さんに「私は何年ぐらいで悟りを得られるでしょうか?」ときいたところ、お坊さんは「お前はなかなか筋がいいから5年で悟りを得られるだろう。」と答えました。
そこで小僧さんは「では、寝食も忘れひたすらに頑張ったら3年ほどで悟りを得られるのですね。」と聞いたところ
「それでは10年かかるぞ」と言われ不思議に思い、「では死に物狂いで頑張るのでどうかなるべく早くに悟りを得られるようにして下さい。」と訴えたら、「おいおい、それでは死んでも悟りを得られないぞ」と言われたそうです。
どうでしょう?理解できましたでしょうか?
理解できた方は、もう中道の境地に至っているので、一つの悟りを得たことになります。
世の中、何事も「ほどほど」が一番。
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